子供の才能にふたをする一番よい方法

子供にね、「おれはだめだ」という気持ちをしっかり植えつけるんです。そういう劣等感を与えるのです。「おれは頭が悪いからだめだ」「おれは不細工だから、不器用だからだめだ」「おれは意気地がないからだめだ」「おれは物覚えが悪いからだめだ」「おれは頭のめぐりが悪いからだめだ」、こういう「だめだ」とい気持ちをしっかり植えつけるのです。

そうしたらね、学校の先生がねじり鉢巻で教えたって、全部はねつけちゃう。どんな力がある先生が、どんなに熱心な先生が汗をかきかき教えたって、子供が「おれはもうだめなんだ」と思ったら最後、みんなはねつけちゃう。 これはいかんというので、塾に通わせる。それでもだめ。家庭教師を使う。それでもだめなんです。

子供に、「おれはだめだ」という気持ちを植えつけるということは、才能の出口にふたをして、出るなと重石を置いて、まだ心配ですき間にビニールを貼り付けてしまうようなものだ。子供をそういう状態にする。

じぁ、いったいだれが子供に、「おれはだめだ」という気持ちを植えつけるのかということです。だれが。

これはいろいろな場合に植えつけられますよ。学校生活で「あの子はだめだ」とレッテルをはられて、だめになる子も多い。

レッテルというやつは大変ですよ。レッテルをはられるとレッテル通りに歩く場合がある。人生は。いいレッテルをはられた場合はいいが、変なレッテルはられたら、一生レッテル通りに歩かされる場合もありますよ。

(略)

むやみに「これはだめだ」というレッテルを人間にはるものじゃない。

なぜかというと、どんな人間でもだめだという者はないんだ。何かかんか全部、力を持っているんだ。不思議な力を。

お母さん方は井戸端会議が好きだから、井戸端会議のときに、一面にレッテルをはり散らすでしょ。ご婦人が5,6人集まるとね。井戸端会議はもう、ご婦人の専売特許ですよ。全世界の。

まず隣近所の奥さんの悪口を全部言うわ、レッテルはって。そして最後には隣のおやじの悪口、おしまいのは自分の亭主の悪口まで、全部レッテルはり散らす。

そういうふうだから、子供にレッテルはり散らす。ちょっと勉強ができないと、うちの長男は頭が悪いからだめだというレッテルをはる。

思うこともレッテルですよ。うちの子はだめだ、と思うことも。

日本の脳細胞の学者に言わせると、同じ民族なら脳細胞の数はほとんど同じです。脳細胞の数が同じということは、生まれたときから、頭のいい、悪いという差がないということですよ。

うちの子供は、気が小さくて、意気地がなくてだめだと言う。人類で、いかにえらそうなことを言おうと、いばろうと、気が小さくって臆病でない者はいないんです。人類というのは、気が小さくて臆病なんです。

それをうちの子供はだめだというレッテルをはっちまったら、ますますおどおどした子供になっちゃうわ。

うちの子供は不器用で困るというでしょう。あんた、不器用だなんてものは人間にあるはずがないんです。人間には。不器用であることがおかしいのです。

手を見てごらんなさい。こんな手を持ったものは全宇宙で人間だけですよ。おそらく。1本1本折ろうと思ったら折れるでしょう。二本指でつまもうと思ったら、つまめるでしょう。指をこうやってごらんなさい。鼻のところへ持っていって、穴の中に突っ込む。こんな大きな指が鼻の奥まで入るんです。ぐっと。

そうして、こびりついているハナクソをこう引き出して丸めてポンとやることもできる。こんなことできるものは人間以外にはありませんよ。ハナクソ丸めてパチンと投げる、なんてことは。

こんな手が不器用であるというのはおかしいのです。

なぜ不器用であるかというとお母様が長い年月をかけて丹念に子供を不器用にしたんですよ。

小さいときに、子供が紙をバリバリバリバリ破ったり、その辺に穴をあけたら、「あーあ、散らかる散らかる」「ああ、だめだめ」って言って、すぐにやめさせてちまう。

鉛筆やら筆も、そこらに書くと「ああ、汚れる汚れる」と取り上げてしまう。

はさみを持ってジャキジャキ切れば、「あーあ、あ、あ、散らかる、散らかる」と取り上げる。ナイフを持って物を削ろうとすると、「ああ、手を切る、手を切る」と取り上げちゃう。

まだ、手を切って死んだやつはおりません。バチバチもうすこし切らせなさい。手を、パチンパチン。

小さいときから指先をほとんど使わせずにおいて、学校に行くようになって、工作が下手だとか、何かいうと「おまえはお父さんに似て不器用だ」と、こうなる。

不器用だったら、同じことを1万5千回ぐらいやらしてごらんなさい。観世よりをよること1万本もよらしてごらんなさいよ。そして観世よりでいろいろなもの、こしらえてさせてごらんなさいよ、1万回ずつ。驚くほど器用になるわ。

こういう不器用と信じている子供にね、「おれはだめだ」という気持ちをだれが一番強く植えつけるのか。

子供は友達同士からも植えつけられますよ。学校生活からも植えつけられますよ。

学校生活で、われわれも若いときは、「あの子はだめだなあ」なんていうことをよく思ったりしたけどね。そういう子供はな、ちゃあんと、こっちが思ったことを受け止めておるね、知らぬうちに。こっちが思っているだけで言わなくても。 むやみに自分の心の中でも口に出しても、レッテルはるもんじゃないと、今になって私はしみじみと思いますがな。

ところがね。一番強く子供に「おれはだめだ」というレッテルをはるのは、お母さんとお父さんですよ、一番大事にしとるはずが、ゆとりがないから。

お父さんとお母さんのうちで、どっちが子供にレッテル貼り付ける天才かというとね。お母様方ですよ。

学校の授業参観に行ったことがございますか。授業参観に行くときはどうですか。うちの子供は今日は立派に答えるに違いないという大きな期待を持って行くでしょう。まわりから、後ろから全部がにらむようにみていますわ。

あのときの目の色は違いますよ、みんな真剣だわ。

ああいう中でね、手をあげるといったら命がけであげているんですよ。子供は。

私、あんまりできなかったからよく覚えている。

隣の人が手をあげるでしょう。どうかと思って母を見るとにらんでいるから、こっちも手をあげざるを得ない。

あのときは、どういうつもりで手をあげるかというとね、手をあげながら、どうぞ私だけには当たってくれませんように、「はい」ってあげるんです。大勢の中で答えるのはいやだからね。

ところがね、先生というのはプロですよ。顔つきや動作ですぐにわかるんですよ。あっ、あいつあやしくて手をあげてるな、と思ったらすっと当てるんです。どういうものか必ず。ところが「どうぞ、わたしにだけは・・・」と思って手をあげたときは、心の準備がないでしょう。不意打ちですよ。

そういうときに立ったら、ボーッとしちゃって、あさってのことを答える。

それがよその子だったら実に痛快そうににこーっと笑ってね。

ところが、自分の家の子供だったら大変ですよ、お母さん。見ているうちに額にじりじりっと汗をかいて、ひとりごとぶつぶつ言っていると思うと、消えてなくなる。さっさと家に帰って子供の帰りを待っているんですわ。

子供というのは、あれでなかなか敏感なんですよ。おれは、どうして立った拍子に忘れたのかな。あのことは知ってたんだけど。立った途端に忘れて、あさってのことをしゃべってしまった。おれは頭の病気かな。頭が悪いのかな。記憶力が弱いのかな。だめな人間かな、悩み悩み帰ってくる。

ところが、お母さんは、そんなことはぜんぜん、もう頭カッカとしておりますからね、子供の気持ちなどは容赦しませんわ。

帰ってくると、「お前は何よ、今日は」と怒り散らす。子供の失敗で頭カッカしておるでしょう。「おまえは今日は何という答え方をしたのか。お母さんがあそこを10時半までかかって教えたところを。あんなあさってな答えをするバカがどこにおるか。神奈川県中探したっておらんぞ」と、こう言う。

怒った拍子に、小学校のときから中学校のときから幼稚園のときから幼稚園のときから、悪いことを全部思い出す。

おまえはこんな風でだめだった、あんな風でだめだった。それとおんなじように、今日もだめだった。

おれはだめかなあと思っているときに、お母さんが自分の歴史から述べて、おまえはだめだと証明してくれる。子供の心の中には「おれはだめかな」という気持ちがズブズブズブッと深くなる。

これじゃね。子供の中になる、何かいろいろな力があっても「おれはだめだ」という気持ちがある間は出てこないのです。

(略)

子供の中には、いろいろな劣等感をどこかで何かでどんな人間でも植え付けられているのです。子供は。

だから植えつけられたものだから、取ってやらにゃならぬ。ところが劣等感を取るほど難しいものはない。

つづきは本を借りて読んでください。しらくも君の運命を変えたものは?もぜひ読んで欲しい。ロマンロランの『ジャンクリストフ』がお薦めだそうです。

椋鳩十、感動は心の扉をひらく、あすなろ書房、1988.より